ども!コムヨシです。
2020年。誰がこんな世の中を想像できたでしょうか。
新型コロナウイルスによって世界中が大混乱です。
地震や台風などの天災と違って、どこもかしこも非常事態っていうのが恐ろしくて、まるで戦争のような状況になってしまいました。
これから世界はどうなってしまうのでしょう。
事態が終息した後、社会は必ず大きく変わっているはずですが、その時人類はどんな変化を強いられるのでしょうか。
社会の変化に合わせて人類はアップデートを重ねてきた
今朝たまたま、フジテレビの「ボクらの時代」がダイジェストで総集編ぽい番組を放送していました。ボクらの時代面白いっすよね。
その中にキングコングの西野さんがこんなことを言っていました。(正確ではないよ)
「まず環境が変わって、その変化に適応していくっていう順番」
で、このフレーズを聞いた時に繋がったものがあったんです。
ボクは以前から、トリイケンゴさんの考え方や取り組みを参考にしているんですが、最近またトリイさんのブログを読み直してて、すごく引っかかる内容がありました。
テクノロジーや環境など、いろんなものが目まぐるしく変化してますよね。社会が変化するスピードが圧倒的に速いので、人間は追いつけないんです。だから、人間の生産性を上げたりして、その間を埋めてあげる。
がくちょう.com:「ビジネスを始める時に学ぶべきもの」より抜粋
西野さんは「環境」という言葉で、トリイさんは「社会」という言葉で表現していますが、本質は同じですよね。(きっと)
環境は常に変化しきたんですね。ずーーーっと昔から。
その変化に対応してきた沢山の失敗や成功の積み重ねが歴史なわけですよね。
そしてこれからも社会は変化していくわけです。
小さな変化もあるだろうし、今回のように沢山の悲しみや辛さを伴う大きな変化も当然あり得る訳です。
ボクたちはイヤでもその変化に適応していかなければなりません。
「社会とのズレ」っていうフレーズもすごくわかりやすかったんだけど、身近なところだとなんだろう?ってずっとひっかかってたんです。
それを上手くフォローしてくれたのが西野さんの「環境の変化」っていう言葉でした。
この2つの言葉がリンクした時、ボクの中で今まで取り組んできたことが少しずつ絡み始めた感覚がありました。
変わりたいのに変われない
ブログを始めてからもうすぐ3年になります。もうなったのか?
2年前には天理教青年会東北ブロック大会で「天理教2.0セミナー」という怪しげなセミナーの講師を務めました。
その直後にオンラインサロンを開設しました。
当時は「今後天理教はどんどん停滞するから組織に頼らないで自分が変わろうぜ!」っていうことを主張するのみでした。
でも当時はそれがボクの限界だったし最大限でした。良くやったと思います。
はっきり言って自分でもよく分かってなかったんです。
変わるべきなのは分かっているけど、何をどう変えるべきなのか。ゴール地点が見えてないというか。ほんと今日の今日まで分かってなかったんです。
この間の2月、久しぶりにおぢばがえりしたんだけど、時間があったから珍しく青年会の集まりに顔を出したんです。他分会交流って聞いて面白そうだったから。
そこで出会った方も、やっぱり悶々としていて、変わらなきゃいけないのはわかってるけど何をどうしたらいいのか分からないっていうんです。
今までのボクなら、「なんでもいいからアウトプットだ!」「コムヨシ布教所ってのがあるけど、どう?」みたいな感じで煽ってたんですが、なぜかその時は客観的に自分を見ていて、こんな疑問が出てきました。
結局、どこに向かわせてあげればいいんだっけ?
ボクは結局彼に何も示してあげられないなって思ったんです。
でも逆にそこで分かったのは、ゴール地点さえ見つかればいける!っていう手応えでした。
でもそのゴールってなんだ?
届いたかに見えたゴールはまた遠くに消えて見えなくなってしまいました。
陽気ぐらしがしたい
そんな中で、コロナウイルスがどんどん世界の状況を変えてしまいました。
そして入社式をはじめ、オフラインで行うのが当たり前とされてきた行事がどんどんオンライン化されていきました。
ラッキーなボクは、トリイさんのブログに出会い、西野さんの言葉に出会い「社会、環境とのギャップを埋める」というキーワードをゲットしました。
そこに輪をかけてきたのが編集者箕輪さんが開設したオンライン学校「みの校」。箕輪編集室が示すゴールは圧倒的に分かりやすい。なんとなくゴールのイメージの仕方がわかったな。
あ、そういえばボクのオンラインサロンのゴールってどこになってたっけ?
「創造的破壊を体験」
は?
いやもちろん執筆当時はこれが限界でした。よくやったと思います。
うん、わかりづらい。というかそれは手段だ。手段を目的化してしまっているではないか。一番最悪なやつではないか。
なぜ創造的破壊が重要なのか。
それがいまいち整理されていなかった。というかわかっていなかった。
でも今、はっきりと分かりました。
みんなで陽気ぐらしがしたい。
世の中の人みんなが幸せになりたいって願う様に、天理教の人はせめて自分だけでも陽気ぐらしができる人間に成長したいって思ってる。でも出来ない。それはなぜ?
そうつまり、ボクは陽気ぐらしが出来ない状況を憂いていて、その足かせになっている組織や教会に頼るな!っていうことだけの主張になってしまってたんです。
コムヨシ布教所に入れば陽気ぐらしができる。
陽気ぐらしってなに?
そんなことはどうだっていい。(よくない)
陽気ぐらしできない環境でくすぶってるならコムヨシ布教所に来いや!てめーのクダラネー常識なんか創造的破壊でぶっ壊してやんよ!(こわ)
はい、陽気ぐらし一丁上がり!
たったこれだけでよかったんじゃないか。
うん、これだけでよかったんだ。
あーすっきりした。
今日も一日陽気ぐらし!
コメント
陽気ぐらしがしたい
素晴らしい、フレーズだと思います。
もっと大きい声を出して。
応援しています。
スペイン マドリッド
清水