どうも、コムヨシです。
ボクの考えが大きく変わるキッカケになったブログがあります。
それがこちら ↓↓
布教についてどうこう言う前に大切なのはコレなんです | あれもこれも
この記事は、タイトル通り、布教以前に大切なモノを教えてくれています。
彼のブログに出会ったのがいつだったのかは忘れましたが、これを読んでからボクの中で何かがはじけたのは覚えています。
今回は、このブログを読んでから変わったボクの天理教に対する考え方や、人生に対する考え方がどのように変わってきたのかを書いてみようと思います。
世界一の仕事=天理教の布教師
ボクは天理教の教会で生まれ育ちましたが、だからと言って一生懸命天理教をやっていこうと思って育ったわけではなく、排除できない生活の一部だっただけです。
まあ、いつかは親の後を継いで教会長とかやんなきゃいけないんだろうな〜。
とか漠然と思ってただけです。
やりたいわけではなかったけど、やりたくないわけでもなかった。
面白いわけじゃなかたけど、楽しくないわけではなかった。みたいな。
そんなボクに転機が訪れたのは、高校卒業後に進学した専門学校時代。
海外で活躍する天理教の布教師を育てるための学校になんとなく入ったボク。
そこで数々の衝撃に遭遇します。もちろん良い意味での。
何枚あるんだよ!
っていうくらい、目からはがれ落ちるウロコ。
ボクの人生観はこのとき大きく大きく変化しました。
数ある衝撃の一つが
天理教って面白い!
天理教って素晴らしい!
やらなきゃ損だ!
みんなに教えたい!伝えたい!
っていう気持ちになったことでした。
今も続く私の天理教LOVEの気持ちはこの時に形成され、今なお微塵も揺らぐことはありません。
色々な本を読んでいくなかに、
天理教の布教だけを仕事とし、飲まず食わずでも心は常に陽気に晴れ渡り、教えが伝わろうが相手にされなかろうが関係ない。とにかく歩いて歩いて歩きまくる。そんな姿を神様は喜んで下さる。
という布教師という生き方があることを学びました。
そして自分の先祖も布教師として生き、教会を設立し、多くの信者を導いた。その歴史の末にボクがいる。
俺がやらずに誰がやる!
それくらい、布教師に憧れ、教会に生まれたことを誇りにさえ思える様になっていました。
布教師こそ世界でもっとも崇高な仕事だと思う様になったのもこのころです。
イメージとかけ離れていた!布教師として生きることの辛さ
23歳の時、後継者不在の教会へ赴任することになりました。
そうです。教会長になったんです。
燃えに燃えまくっていたボクは、布教師になれることが嬉しかったので、教会長以外に働くことは全く視野に入れていませんでした。
食えなきゃ食えないでいい。
それが布教師ってもんだろうよ。くらいに。
かなりツッパってましたね。
でも実際のボクはというと、
朝は起きれない、布教の経験はない、新天地での知り合いも皆無。
という状況。
朝が苦手なので、朝勤めもやったりやんなかったり。
そんな自分が情けなくなり、こんな自分が布教に歩いたって誰も相手にしてくれるはずがないと、自分を責め続け、勇めない心は更に朝を辛くさせ、得意の負のスパイラルに突入します。
食えないことが辛いんじゃない。
金がないのが辛いんじゃない。
その状況を喜べない、楽しめない、面白がれない、前を向けない自分がいることが辛くて、その自分となかなか向き合おうとしない、自分自身を許せずにいました。
布教師は好きなことを我慢しなきゃいけない
布教師として活躍する先生ほど、好きなことは我慢して、その分布教を好きになりなさいという。
その考えに共感する部分もある。それくらいでなければ、不治といわれた難病の方を救うことはできないだろう。
そんな布教活動をしてみたいと思うけど、そうじゃないこともやってみたい。楽しいこともやってみたい。
そんな時にたまたまやったのが自主企画のバス団参でした。詳しくはこちら↓↓
これを機に負のスパイラルからようやく抜け出すことに成功します。
でも、何かが足りない。
せっかく自分に与えられた人生なんだから、自分のやりたいことをやろう
負のスパイラルから抜け出せたものの、自分が理想とする布教師に近づけていないことに憤りを感じていました。
あとはやるだけなのに、やれない。というか、やり切れない。
飽きっぽい性格だから?
続けることが苦手だから?
なぜ続けられないのか。
人の役に立ちたい、困っている人をたすけたい、という心が薄いからだと
また自分を責めます。
俺なんて、俺なんて
また負のスパイラル。
ミスター・負のスパイラルです。よろしく。
そんな時に出会ったんですね〜
この記事 ↓↓
布教についてどうこう言う前に大切なのはコレなんです | あれもこれも
ビックリしました。
何がビックリって、高校時代後輩で、寮では同じ階に2年間住み、数ヶ月間ですが同部屋になったこともある特別なヤツだったんです。
そいつが、ものすごい勢いでボクの背中を押してくれた。
でも、事実関係からいくと、ボクが彼のブログを読んだだけなんです。
読んで、勝手に突き動かされただけなんですよね。
だからこそ、ブログってすごいなと思ったんです。
ボクが抱いていたモヤモヤしていたものの正体がやっとわかったんです。
それが何かというと、
ボクはやりたいことを我慢して、結局自分が一番面白くない人生を歩んでいた。
っていうことだったんです。
好きなこととかやりたいことを我慢して人様の役にたつ生き方を理想に歩いてきて、今でもそれは素晴らしい価値観だと思ってます。
でも、自分にはそれが合っていないということがわかったんですね。
ボクは本当にワガママな男だから、自分が楽しくなきゃ続けられない。
でも、天理教にそんな価値観なんて存在しないと思ってたんです。
それを救ってくれたのが、彼のブログだったんです。
ボクの価値観は大きく大きく変わりました。
好きなこと、やりたいことをやって誰かの役にたちたい!!
こんな風に思える様になってから、
悩むことが減りました。
妻からも、本当に変わったねって最近言われます。
以前は、既成の天理教の概念にがんじがらめにされていた旦那と歩むことを、少なからず窮屈に感じていたみたいなんです。
既成概念が悪かったんじゃなくて、それに固執するあまり、ボク自身が身動きがとれなくなって、イライラして家族に八つ当たりしたり、上手くいかないことを環境のせいにしてみたり、家庭の中でもミスター・負のスパイラルだったんですね。レジェンド級の。
それが、自分らしく生きることを選択してからは、まだ何にも達成してないし、成果も上がっていないけど、毎日が楽しくなってきました。
いまだに朝は苦手だけど、そんな自分すらも愛せる様になってきました。
やりたいことやって、生活できるんだったら誰も苦労しねーよ
って、ボクも当初は半信半疑でした。
でも、彼のブログと出会ってからというもの、自分の好きなことや得意なことで誰かの役に立っている人とたくさん出会わせてもらっています。しかもそのほとんどの方が、食っていけてる、だけじゃなく、普通のサラリーマンよりよっぽど稼いでいる。
だからってわけじゃないけど、好きなことやって、それによって喜ぶ人、助かる人、救われる人がいて、さらに収入も得られるって素晴らしいというか、本来あるべきビジネスの価値観と言うか、仕事のあり方と言うか。そんなことも考えさせられました。
実際、彼のブログによって
ボクがたすけられちゃったんですから。まちがいないと思います。
こういった素晴らしい考え方をどんどん共有して、発信していくことが彼への恩返しだと思っています。まだまだ頼りっぱなしなんですがw
これから、自分の好きなことややりたいことを更に磨き上げて、誰かの役にたてる自分になっていきたいと思います。
コメント