臨床宗教師教養講座を受講中、どうもコムヨシです。
- これって宗教活動なの?信仰活動なの?
- 宗教って何?
- 信仰って何?
この記事を読んでいただいているあなたは、なんらかの宗教に所属していたり、信仰的な何かをされている方だと思います。
宗教に属していない友人や、信仰とは無縁の環境にいる知人から、
「なぜ宗教なんてやってるの?」とか
「信仰しててなんかいいことあった?」とか
そんな質問されることありますよね。
そんな時、宗教と信仰の定義が自分の中ではっきりしていると説明もしやすくなると思いますので、教養講座で学んでいることのアウトプットがてらまとめてみますので、ぜひ参考にしてみて下さい。
今回は、教養講座の中の「宗教学死生学入門」で講師を勤めていただいている鈴木岩弓先生の講義を元にまとめていきます。
宗教と信仰をGoogleでキーワード検索で違いを探る
宗教と信仰を「+〇〇」といった形でキーワード検索をしてみると、その言葉の使われ方の特性が見えてくるという面白い実験でした。
図のように、
宗教音楽って言葉は聞くけど、信仰音楽って言葉は聞かないよね、とかっていうように、宗教と信仰に付随する言葉を探すことで、その使われ方を見つけることができます。面白いですね。
宗教と信仰の言葉の使われ方の違いが見えてきましたが、まだなんとなくモヤモヤしますね。
宗教と信仰についてのイメージから違いを探る
鈴木岩弓先生は、『「宗教」と「信仰」のイメージ』というタイトルで学生対象にアンケートを取られています。
Google検索よりももっと具体的なワードが見つかりそうですね。
引用してみると、
- 宗教は集団的だが、信仰は個人的
- 信仰は宗教より小規模で規律が重くない
- 信仰は宗教ほどまとまっていない
- 信仰の一部が宗教 > 宗教の一部が信仰
- 信仰の対象は、宗教の対象よりマイナー
- 信仰は宗教より科学的
- 信仰とは、宗教を強く信じること
- ある一定のレベルを超えると信仰
- 宗教は名詞、信仰は動名詞
- 信仰は宗教よりクリーン
このアンケートから見えてきたのは、
宗教=集団的、規律がある、科学的でない、名詞、信仰の一部
信仰=個人的、小規模、科学的、クリーン、動名詞
という感じで、集団的か、個人的かという部分が大きく違うポイントだと感じている人が多いということがわかりました。
宗教は組織で信仰は個人
いずれにせよ、宗教だろうが信仰だろうが、どちらも、
ヒト(人間)とカミ(超自然的存在)との交渉に関する観念と、それに基づく行為
ということが言えるわけですが、その行為がより組織的なものが「宗教」であり、より個人的なものが「信仰」だということが見えてきました。
また、宗教は組織的である分「あるべき姿」というのが強く、混乱を防ぐためのある種の「ルール」のようなものが必要になってくるのかもしれません。
その点、信仰は個人的なものなのでルールに縛られる必要がありませんが、あえてネガティブな言葉を使うと「自分勝手」さや「教えの歪曲」が生まれやすいもので、しかしそれがむしろ特徴であるのかもしれません。
まとめ
いかがだったでしょうか。
「宗教」と「信仰」の違いについてまとめてみました。
ボクはかなり納得したのと、意外にも「信仰」という言葉にクリーンなイメージを抱いている人が多いことに驚きました。
これって、神様とか仏様を信じることやそれに伴う行為自体は尊いものだけど、それが組織的なものになると、急に怪しいものに感じる、っていうことなんでしょうか。
和を重んじる日本人なのに集団や組織に対して不信感を抱くっていうのはとても面白い現象だなと感じます。(オウムの一件も大きいと思いますが、それだけではないような気がします)
心の時代ー と言われながら、宗教者が蚊帳の外に追いやられてしまっている現状は、一般市民にとって大きな損失になっているはずです。
多くの場合は教団や宗教者側に問題があることなので、 一刻も早く改善してより良い社会を作るための環境を整備していく必要があるように思います。
つまり、宗教が一刻も早く社会に受け入れられる、当たり前の存在になる必要があるのだと思います。
頑張りましょう!
今日も一日陽気ぐらし!
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