世界宗教は民俗宗教的にアップデートされていることがわかった

臨床宗教師教養講座

どもコムヨシです。

今回は死生観についてです。

例の如く、ボクの考察ではなく臨床宗教師教養講座の講義をまとめていくスタイルです。今回まとめるのは「宗教学死生学入門」の第3回目の講義です。

今回の講義のポイントは、

  • 世界宗教と民族宗教の違いを知り←今回の記事
  • 世界宗教と日本の死後の世界観を比べ
  • 日本人の死生観を考察する

こんなことを簡単にまとめてみたいと思いますが、ちょっと長いので二回に分けてまとめてみようと思います。

というわけで今回は、「世界宗教と民族宗教の違い」について!

いってみましょう!

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世界宗教と民族宗教の違い

まずは、世界宗教と民族宗教の違いについて簡単に。

世界宗教とは

世界宗教は、民族や地域を超えて多くの民族で信仰される宗教のことです。

例えば、

世界三大宗教と呼ばれる、仏教、キリスト教、イスラム教が挙げられます。天理教も当てはまりますね。

民族宗教とは

民族宗教は、特定の民族の間だけで信仰される宗教です。

例えば、

ユダヤ教、神道などが挙げられます。

ユダヤ教はとても古くてメジャーっぽいイメージありますが、ユダヤ教徒になるにはユダヤ人になる必要があるらしく、民族宗教を代表するような宗教だと言えますね。

世界宗教が世界に広まった理由は「現世拒否」という死後世界観を説いたから

広まった、というよりは「受け入れられた」という表現の方がしっくりくるかもしれませんね。

なぜ世界宗教は民族を超えて広く受け入れられたのか。

強いられた、という歴史的な認識もあるかもしれませんが、それだけでは内容です。

広く受け入れられた理由は「現世拒否」という思想が根本になっています。

現世拒否とは

現世拒否っていうのは、現世とは別のところに価値をおく世界観のことです。

例えば現世において、

  • お金持ちー貧乏
  • 王様ー奴隷
  • 男ー女

とかいう現実にこの世の価値があるのではなく、別の世界にこそ価値があるという思想です。

この現世拒否は、

  • この世ーあの世
  • 此岸ー彼岸
  • 現世ー来世

などの「二元的世界観」という概念が前提になっていています。

「別の世界がある」という世界観が生まれ、発達していく中で、別世界を強調し、カミの恩恵によって人間を救済するという思想が育まれていったんですね。

世界宗教に見る死後の世界観

では、世界宗教はどんな死後の世界観を持っていたのでしょうか。

一神教の場合|キリスト教やイスラム教

よく知ってると思いますが、

  • 天国と地獄
  • 生前の行為から善悪が判断され
  • 死後、最後の審判で天国か地獄かに振り分けられる

神をたてない宗教の場合|仏教やヒンドゥー教

これも有名ですよね。

  • 輪廻転生
  • 六道のどこかへ転生する

ちなみに神道の場合

では日本固有の宗教である神道はどうでしょう。

  • 高天原(タカマガハラ)=神々の住む天上世界
  • 現世(ウツシヨ)=葦原中国(アシハラノナカツクニ)
  • 黄泉の国/根の国=幽世(カクリヨ)

ボクはあまり日本書紀や古事記に明るくないのですが、世界宗教と比べてみると、高天原、現世、黄泉の国がかなりシームレスにつながっているように感じます。とても独特な世界観のようです。

「世界宗教」という呼び方の問題

ここまで、世界宗教が世界宗教として広く受け入れられた理由と、世界宗教と民族宗教それぞれの死後世界の違いについて、ザックリと学んできました。

ここで気になるのは、「世界宗教」という呼び方の妥当性です。

世界宗教とは、民族や地域の枠を超えて広く信仰される宗教のことでした。

でも実際には、同じ宗教と言ってもそれぞれの地域でかなりの差があります。

例えばキリスト教にみられる十字を切る動作で比べると、

  • カトリック:右手親指で 額→胸→左肩→右肩
  • 東方正教会:右手三本指で 額→胸→右肩→左肩
  • プロテスタントは十字を切らない人が多い

という特徴があったりするそうです。

仏教はもっとわかりやすいですよね。私たちが慣れ親しんでいる日本の仏教は、発祥地であるインドのそれとは全く違うみたいだし、中国、朝鮮のそれともかなり違うようです。

つまり、現実の「世界宗教」は、地域・民族区分に応じて分断され、民族宗教的に現れている、ということが言えそうです。

これに関して、講師である鈴木岩弓先生は「ここまで言い切っていいのか悩んでいた」とした上で、九州大学の古野先生の言葉に出会って「気が休まった」と言われています。

その言葉を紹介すると、

純粋または正当な世界的宗教は、その信奉する教理、教義はしばらく別にして、現実には存在しない

「まえがき」『古野清人著作集』5(キリシタニズムの比較研究)1973年、三一書房、p.1

まとめ

いかがだったでしょうか。

世界宗教と民族宗教の違いについて学んできました。

違いを学んだ最後の最後に、実は世界宗教っていうのは民族宗教的に現出しているっていう興味深い考察でまとめられています。

確かに民族や地域を越えて変化していくというのは、むしろ自然なことのように感じます。

日本国内においても、同じ宗教、宗派であっても地域によって違いがありますよね。天理教もそうだと思いますね。

もちろんそれはネガティブなことではなく、アップデートされたという結果ではないかと思います。

とても面白い考察でした。

皆さんはどんな感想をもたれたでしょうか。

今日も一日陽気ぐらし!

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