どうも、コムヨシです。
最近、人工知能がどうだとか、ITがどうだとか、情報社会が急速に変化しているだとか、そんな言葉をよく耳にしますよね。
あんまり詳しい話はわからないんですが、どうやら今、大きな時代の転換期を迎えているのは間違いないようです。
時代に限らず、価値観や概念が変わるときって、変わるべきものと変えてはいけないもの的な話が、金魚のフンのようにくっついてきます。
そこで今回は、時代のうねりの中で、時代に流されることと、合わせることの違いについて、ボクなりの考えをまとめてみたいと思います。チェケラー
そもそも時代とはなんなのか。
時代について、ちょっとググってみたんですが、主に政治や社会といった国家体制の違いで時代を区切っていたり、権力者が大切にしていた文化などを時代の名前にしていることも多いみたいです。ん〜なるほど、時代ですね。
最近ではファッションとか風俗のあり方なんかで区切る事もあるみたいです。フムフム、時代ですね。
ボクなりの言葉で表現してみると、時代っていうのは時の流れってことだと思ってます。確かにそうなんですね。お〜、時代ですね。
川の流れに置き換えてみる
時代が時の流れってことは、ボクたち人間はその時の流れの中で暮らしているって言うことは間違いないようです。
流れの中で生きているって言うことは、その流れに流されているって言うことなんでしょうか。もしかしたら大局的にはそうなのかもしれません。
時の流れと聞くと、映像としてイメージしにくいので、川に置き換えてイメージしてみようと思います。
目の前に一本の川があります。
ボクは大きなボートに乗っています。
そのボートにはボク以外に、お父さん、お母さん、4人の姉弟、おじいちゃん、おばあちゃんが乗っています。
ボートの中はごった返していますが、仲良く助け合いながら川を進んで行きます。
ボートの進み方を指揮しているのはお父さんです。お母さんは、指揮官であるお父さんが気持ちよく指揮をとるため、より適切な対応をとれるよう陰となり日向となってお父さんをサポートしています。
ある時事件が起きます。
おじいちゃんがボートを降りると言い出しました。
誰もそれを止めることは出来ませんでした。ボートを川岸へつけて、おじいちゃんがボートを降りるのを全員で見送りました。みんな悲しかったけど、おじいちゃんは満足そうでした。
しばらく行くと、おばあちゃんもボートをおりました。
姉や、弟たちもボートを降りて行きます。
しかし、寂しいことばかりではありません。
女性乗組員が増えました。そう、ボクの奥さんです。
子どもが3人乗って来てくれました。
それまでボートの指揮をとってくれていたお父さんが、指揮をボクと代わりたいと言い出しました。
自信はなかったけど、ボクはお父さんと交代しました。
お父さんと交代した時、ボクはふと思いました。
お父さんもおじいちゃんと交代したんだろうな。おじいちゃんはひいおじいちゃんと交代したんだろうな、と。
ということ、ボクも子どもにバトンをわたす時がくるってことなんだな。
お父さんやおじいちゃんは、何を基準に、何を大切にしてこのボートを漕いできたんだろう。
ボクは子どもに何を伝えるべきなんだろう。
今日も川は流れて行く。
大事なことはやっぱり目的地にたどり着く事と、進む理由。
なんか書いてたら、物語っぽくなってしまい感傷的になってしまいました。
そう、大事なことは目的地にたどり着くことなんです。
川が時の流れだとすると、ボートは技術や情報といったいわゆる社会というやつかもしれませんね。
ボートはやはりモノである以上、いつかは壊れるし不便さがどうしてもでてきます。当たり前です。
前より便利なボートがでてきたらそれに乗れば良いし、今までのデザインの方が良ければ乗り続ければ良い。
より確実に安全に川を進む技術や情報があれば、それを利用すればいい。したくなければしなくてもいい。
その時の判断基準をどうするかっていうのが大事になってきますよね。
判断基準となるアナタの価値観
判断基準は常にその人の価値観によると思います。
自分の中に絶対的な信念がある人、多数の意見を価値観とする人、宗教的な教えを価値観とする人、色んな価値観がありますが、私は断然、天理教の教えに拠り所を求めています。その価値観はいつかまとめれれば公開したいと思います。
たまにこういうことを言う人がいます。
時代が変わっても、時代に流されないような生き方を心がけましょう。と。
情報が溢れている今の時代、何を信じればいいのかわからなくなってしまっている人がたくさんいます。
私たちが生きていく上で、どんな価値観をもって、どんな判断基準をもってものごとを選択して行けばいいのか、とても難しくなってきているのかもしれません。
でも、ものごとって実は常にシンプルだったりもして、複雑化すればするほど、単純さを求めたりします。いわゆる本質っていうやつに行き着きます。
時代の変化っていうのは、本質のアウトプットの仕方、展開の仕方がそれまでと大きく変わる時期のことをさすんじゃないかなと思います。つまりは価値観が変わるっていうことでしょうか。もしくは新しい価値観が生まれる瞬間とでもいうのでしょうか。
いずれにせよ、そういった本質を具体化するのが時代の流れや変化だとするならば、それはつまり、価値観の変化によってなされているものなのかもしれませんね。
だからこそ大切にしたい、本質と価値観
なんだか書いてて訳が分からなくなってきました。
目的地が大事だと言いながら、この記事の着地点を明確にしないまま進めてしまったせいで、終わりが見えなくなっています。
でもいいんです。
たまに脱線する話の中に、自分の本質が隠れていたりするものなので、そういったものも大事にしていければと思ってます。余談です。
結局何を言いたくてこの記事を書き始めたかっていうと、
時代の流れにはしっかりと身を任せながら、自分の目的地を見失わずに、どんな時代でも楽しく力強く豊かに生きて行けるかを考えて行きたいなって思ったんですね。
端から見たら、時代に流されてるって見えるかもしれないけれど、自分がちゃんとした価値観と信念をもって、その流れに乗っているなら、それは流されているのではなく、流れに合わせているっていうことなんです。それでいいんです。
大事なことは目的地にたどり着くこと。
価値観は時代とともに流れている。つまり変わる。
変わったのなら、またゼロから考え直せば良い。
自分らしく、楽しく、力強く、豊かに
そのままのアナタで行きましょう。
コメント
私達が所属している(本人の意志とは無関係に自動的に組み込まれている?)若い世代の集まりも今、大きく変わろう、変わろうと躍起になっていますが、スタイリッシュさばかりが先行し、やや本質からずれてる地点を目指しているのでは、という疑問を感じています。それでも変わろうとする以前の状態よりは100倍マシになってはきてるのかな…?
私達が所属している(本人の意志とは無関係に自動的に組み込まれている?)若い世代の集まりも今、大きく変わろう、変わろうと躍起になっていますが、スタイリッシュさばかりが先行し、やや本質からずれてる地点を目指しているのでは、という疑問を感じています。それでも変わろうとする以前の状態よりは100倍マシになってはきてるのかな…?
コメントありがとうございます!
本質からズレているのは否めない事実ですよにね。
その本質の達成というか、実現がゴールだとするならば、色々なアプローチがあってしかるべきだと思っています。
青年会本部の目指す地点が必ずしも今のお道全体に必要な要素かどうかは議論の余地があるでしょう。
一番問題なのは、普段から福士さんが指摘されるように、『本部がうちだしたから』というポイントの捉え方だと思います。
青年会本部も我々と同じ未熟者の集まりなので、全てを鵜呑みにし、それさえやっていれば良いというのではないでしょう。
それがわかっていても、何をやったらいいのかわからないという状態が、お道全体の問題のように思います。