どうも!コムヨシです。
ブログを開設して1年が過ぎました。
1年間で100記事が目標でしたが、この記事でようやく79記事目。
100どころか80にまで届いていません。
それでも、アクセスは増え続けていて、2018年6月には8,000pv(ページビュー。読まれたページの数ってことね)になり、翌7月にはなんと10,000pvになっちゃったんです。すごくないっすか?
1年前は、どんなに頑張って記事を書いても1日のpvが0なんてことはザラでしたよ。
続けることがいかに大切かと言うことを身を以て感じています。
今回は、なぜ天理教の教会長であるコムヨシが、ブログにこだわるのか。
なぜブログを書き続けているのか。
なぜ続けられるのかをまとめてみようと思います。
天理教の教会長がブログを始めた理由
ブログと出会う前までは、
- ブログと言えば日記
- ブログと言えばアメブロ
- アメブロと言えば海老蔵
というイメージをもっていました。
このイメージが間違っているわけではないけど、あまりにも狭いポイントだけを見ている感じです。
ボクのそんなイメージをぶち壊してくれたのが、ダメダメようぼくでおなじみの久松氏が書いているあれもこれも
久松氏のブログがFacebook上で流れていて、たまたま誰かがシェアしてたのがボクの目に止まったんです。ほんとにたまたま。
天理教が目指すゴールは、みんなが布教師になることではないと思う!
ふむふむ
不得意なことを無理してがんばるぐらいなら、自分の得意なことを突きつめていって、価値を最大化してしまえばいい。
ガ!ガビーーーーン!!
なんか、ブログってスゲー!
オレもやってみてーー!
っていうわけで、ブログを始めることになりました。
不得意なことを一生懸命がんばるより、得意なことを最大化していけばいいっていう発想がすごく衝撃的だったんですね。
好きなこととか得意なことって、天理教と関係ないって思ってましたから。
完全にやられました。
これが、ブログを始めた理由です。
教会長のくせにブログにこだわる理由
おつとめもロクにしないで、時間があればブログを書くか、妻の機嫌取りをしています。
出来ることならもっとブログの更新ペースを上げたいんだけど、3番目の子どもがまだ1歳を過ぎたばかりで、まだまだ手がかかるんです。
そんな超ウルトラスーパーイクメンの教会長コムヨシが、なぜ、ブログにこだわるのかというと、
NO BLOG, NO 教会長
だからです。
ブログって、アウトプットのツールとして本当に素晴らしいんです。
自分の頭の中にあるごちゃごちゃしたものを、すっきりと可視化できるんです。つまり頭の中が整理されてくるんです。
それによって、自分のやりたいこととか好きなことがハッキリしてくるんです。つまり自分が大切にしているものが明瞭になるってことです。
それは同時に、自分が嫌いなことや、解決したいっていうことやモノも明瞭になります。
これから自分が進むべき道が少しずつ見えてくるんです。これは本当です。
自分軸がしっかりしてくるっていうことです。
ここまでは、自分にとってのメリット。
ブログの素晴らしいところは、記事がネット上に公開されるので世界中の人が閲覧できるっていうこと。
つまり、誰でも見れるっていうことです。スマホやパソコンとネット環境があれば誰でも。
ボクが久松氏のブログを見て衝撃を受けたように、ブログは誰かに影響を及ぼす力を持っているんです。良くも悪くも。
もちろん、ブログだけではなく、YOUTUBEやSNSでも影響は及ぼす力は持ってるし、それでも全然いいんです。
発信の仕方やスタイルは人それぞれだし、向き不向きもあります。
でも、コムヨシはブログが最強だと思ってます。
情報を発信することによって、どんなメリットがあるのかというと、情報だけでなく発信者の思想や内面も発信できるということです。
これは発信者の立場を明確にしておくことで、より強力に発信することができます。
ボクの場合だと
- 天理教
- 23歳で教会長
- しかも事情教会
- しかも部内じゃない
- 本音を吐露しまくってる
これによって、思想や内面がより響くんですね。
人って、他人に興味を持つときって、その人の生い立ちとか歴史を知った時だと思うんです。
ぐっと親近感が湧くんですよね。
親近感が湧くことによって、思想や思いがより深く伝わると思うんです。
親近感が涌き、思想や思いに共感を抱くことによって、逆に不快感を感じることもあるかもしれません。
でも、それによって情報を受け取った人にとっての選択肢が増えるんです。
「ワタシは、この発信者好き」
「ワタシは、この人キライ」
みたいな感じです。
コミュニケーションの入り口になるんです。
今までのオーソドックスな布教スタイルよりも言いたいことが伝えられるし、現実世界では不可能な人数にアクセスすることが出来るんです。
天理教が目指しているのは、教会に出入りする熱心な信者を作ることではありません。
陽気ぐらし世界を実現することです。
そのために必要なことが一体何かを考えれば、情報発信は立派な布教活動だと思います。
これが、コムヨシが教会長のくせにブログにこだわる理由です。
なぜ教会長のくせにブログを継続できるのか
色んな統計があるみたいですが、ブログを始めたとしても3ヶ月続かない人がほとんどだと言います。
- まず、ブログを始めようと思う人がそもそも少ない
- 初めても3ヶ月続くのはほとんどいない
- 半年続けられるのはもっと少ない
- 1年間続けられるのはもっともっと少ない
みたいなんです。確かにそうかもしれません。
なぜブログを継続できないのかというと、多くの人が小遣い稼ぎを目的として始めているからなんです。
確かにブログで稼いでいる人はたくさんいます。夢がありますよね。
でも、ブログでごく普通の一般人が稼げるようになるためには、時間がかかります。
情報が溢れかえっている現代において、どこの馬の骨ともわからない人のブログを読んでいる時間はありません。
そもそも、始めたばかりのブログはグーグルでもヤフーでも検索順位にほぼ反映されません。
アクセスに変動が起きるのはブログを初めて半年が過ぎた頃だと言われています。
それまでは、アクセスはほとんど0が続きます。ボクもそうでした。
それが半年を過ぎる頃には、アクセスが少しずつ伸び、いわゆるアンチの方からのコメントも増えてきます。
これらの方々は、ご丁寧にネットを検索されて記事にたどり着いてきて下さっています。
どんなキーワードで検索されたにせよ、記事にたどり着いたと言うことは記事が検索範囲内に掲載されてきているという証拠です。
それくらい世の中に反映されるには時間がかかります。
小遣い稼ぎでブログを始めた人からしたら、この半年間は地獄よりもキツい時間だろうと思います。
そんな地獄をくぐり抜けた人だけがたどり着ける境地があるのですね。もちろん例外もたくさんありますが、例外はやはり例外です。
で、
ボクがなぜ継続できたかというと、そもそも小遣い稼ぎではなかったのと、単純にブログを書くのが楽しかったことです。
ブログはボクに向いていたんですね。
口数の少ない人はブログに向いてるって言いますが、確かにそうかもしれません。
ボクは、思っていることを、いつ、どのタイミングで言っていいのか分からず、会話というものが本当に苦手です。とても気を使います。
ブログは相手を意識して書くけど、言いたいことをじっくり整理しながら言葉を選んで綴ることができるから、本当に言いたいことを伝えられるんです。
めちゃくちゃいい吐き出し場所をみつけた!っていう気分でした。
特に口数の少ない教会長は、おぢばがえりをした時に詰所で酒を飲みながら、普段のうっぷんを晴らす人が多いのかもしれません。
教会長という立場上、あまり愚痴を聞いてもらえる環境もないでしょうし、受け止めてくれる人も少ないでしょう。
そういったフラストレーションが溜まって、醜態をさらすくらいなら、思いの丈を心を込めてブログにぶつけた方がいいです。
ちょっと話がそれましたが、コムヨシが教会長のくせにブログを継続できる理由は
- 小遣い目的ではない
- アウトプットが目的
- 口数が少ないからブログに向いている
- 天理教の組織が腐っているからネタが尽きない
という感じです。
口数が少ないこんなボクですが、こんなつたないブログを見て「感銘を受けた」と言って下さる方もいらっしゃいます。
「是非、お会いしたいです」
と言って下さる方もおられます。(今度会う予定なので、オッケーをもらえたら記事にしたいと思います)
オンラインサロンで色々な人と繋がりを持てていますが、ブログを始めていなければ繋がれなかったような人と繋がれていることが本当に嬉しいです。
本当に素晴らしい時代です。
「ネットは人間味がない」
なんて言う人もいますが、ネットこそが今後、より一層人と人を繋ぐツールになると思います。
あなたも今すぐ情報発信をして、新しいコミュニティを形成してみませんか!
あなたの情報を待っている人が世界のどこかに必ずいます。
あなたを待っているんです。
さあ!情報を発信しましょう!!
NO 発信, NO 天理教!
今日も一日陽気ぐらし!
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