どうも、コムヨシです。
コムヨシは教会長なんで、必然的にコムヨシの奥さんは教会長婦人になるわけで、実質教会の婦人会のトップになります。
いわゆる「委員部長」ってやつですね。
大きな声では言えないんですが、ボクの奥さんは
天理教がキライです。
なので、当然青年会も婦人会もキライです。面白いですよね。
がんばって天理教やってくれてます。
そんな奥さんに、大教会の婦人会から手紙が届きました。
「母親講座やるからYOUも来ちゃいなよ〜」
っていう内容です。
その母親講座の内容、気になりますよね?
「着物の着付け」
え??母親講座なのに??全然母親と関係ないよ!?いいの?
というわけで、今回は天理教婦人会が停滞している原因に迫りたいと思います。
ちなみに、原因がわかっても、解決は出来ませんので悪しからず。
母親講座という荷物
母親講座の内容が、あまりテーマと関係ないことをやってるなっていうのはなんとなく前から思ってたんですが、ばあさん達が考える事だから仕方ないか〜って流してたんですが、今回はちょっと訳がちがいます。
大教会にも支部にも「母親講座担当者」っていう(誰もやりたくない)役があるらしいんですが、そのメンバーが最近一新されて一気に若くなったんですね。
その若い世代が打ち出してきた母親講座の内容が、着付け練習だったんです。
担当者が若くなったのに、クソみたいな内容は変わらないなんて、おかしい。謎すぎる。
ボクは全く理解できなくて、着付け練習したいなら母親講座じゃなくて「着付け勉強会」って名前でやったらいいんじゃないの?って思ったんですが、事はそう甘くはありませんでした。
なんでも、母親講座って言うのは婦人会本部からのお達しで、必ず開催しなければならないノルマ的なものらしく、大教会でも支部でもほとほと困り果てているっていうんです。
でも、婦人会は天理教組織の中でも群を抜いて縦社会がキツい組織なので、その雰囲気を変えるのは至難の業です。
「意味がないもの」とわかっていても、変える事すら許されず、運営しなければならない若い世代の婦人会には頭が下がります。
「育てる」という名目の押しつけ
もう一つ、こんなことがありました。
実家の教会が属している支部の婦人会から、妻に「若妻会」のお誘いがありました。
「若妻会」という名前を聞いただけで吐きそうになるんですが、面倒を起こしたくない妻は行きたくない気持ちを抑えて参加したんです。
行ってみるとやっぱり面白くなかったみたいですが、上手くやってきたみたいです。
後日、別の「若妻」と話をする機会があったんだけど、やっぱり仕方なく参加していたようで、途中退場したボクの妻のことを指をくわえてみていたそうですww
茶番以外の何ものでもない今回の「若妻会」は一体誰が何のために企画したものだったのでしょうか。
もちろん支部の婦人会が、若い世代の婦人会を育成するための企画でした。
婦人会では、このテの企画が割と多いんですが、問題なのは圧倒的に上の世代の婦人会の自己満足で始まり、自己満足で終わってしまっているということなんですね。
そこには、「若い世代を育てなければならない」という使命感で動いていると思うんですが、完全に大きなお世話になっています。
頼むから全力でほっといてあげてください。
自分達が若妻だったころの事を完全に忘れてしまったんでしょうか。
上の世代から強要されるのが楽しかったんでしょうか。
組織の維持が活動の目的になってませんか?
なぜ若い世代を育てなければならないんでしょうか。
その発想はどこからくるんでしょうか。
もしも、今の上の世代の人たちが圧倒的な成果を挙げていて、それに対して若い世代がまったく成果がでていなくて、その気配すらないのであれば、育成は急務でしょう。
でも、そもそも成果をあげる必要すらない支部活動や大教会の組織において、若者を育てるという発想自体無意味ではないでしょうか。
このままでは支部活動が滞ってしまう。。。
婦人会が潰れてしまう。。。
若い人を無理矢理連れてこなければ見いだせないような組織なんて、すでにその使命を失っています。
やる必要なんてない。
いま、天理教の活動って、この組織の維持活動がメインになってしまっている気がしていて、教会の存在意義も維持がメインになってしまっている気がするんです。
そんなの面白い訳ないんですよ。
頼むからほっといてあげてくれ
キングコング西野が著書の「革命のファンファーレ」で次のように語っています。
中略
ただ、「最近の若いヤツは……」という苦言は、それこそエジプトの古代遺跡にも象形文字で刻まれていたぐらい手垢のついた言葉で、おそらく人類誕生時からいままでずーっといわれ続けていることだろう。
もし、その言い分が正しければ、理論上、人類なんて、とっくに絶滅している。
スケールダウンを繰り返している生物が生き残るわけがない。
だけど、僕らは今日も生きている。
時代や環境に合わせて、アップデートを繰り返してきたからだ。
動物であろうと、植物であろうと、いつの世でも種として優秀なのは〝年下〟で、これは抗いようのない自然界のルールだ。
若者世代への批判は、そのほとんどが〝進化への乗り遅れ〟に他ならない。
引用元:西野亮廣著「革命のファンファーレ」より抜粋
年下の方が優秀なんです。
それは頭脳が優秀とかっていうことではなく、その時代を生き抜くためのアップデートはその世代の人間にしか出来ないって言う事なんです。
いくら経験が豊富でも、知識が詰まっていても、柔軟さがなければ、新しい価値観の前に古い常識は返って荷物になってしまいます。
若い世代がなぜ嫌がるかと言うのは、けっきょく古い常識を押し付けられるだけだっていうのを感じているからなんですね。
やりたいことがあるなら、賛同してくれる人を集めて、賛同してくれる仲間とやればいいんです。
育成とかなんとかいって、もっともらしいこといってるけど、魅力があれば誘わなくたって勝手に寄ってくるでしょ。
寄ってこないのを若い世代のせいにしないで下さい。
これは婦人会に限らず天理教全体に言える事。
一生懸命声をかけないと進まないようなものは、すでに失敗しているって思った方がいいと思う。
人って行事に集まるって言うよりは、それを主催している「ヒト」に集まってくるんだと思うから。
自分の魅力を高めましょう!
自分の魅力は自分の好きな事をやっているときだけ発揮されます。
天理教を好きになってもらわなくてもいいんです。陽気ぐらしが出来る人であればオッケーじゃないですか!
今日も一日陽気ぐらし!
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