どうも、コムヨシです。
ボクのTwitterをフォローしてくれてる人は、ご存知だったと思うんですが、この前、11年ぶりに不整脈になりました。
11年ぶりに不正脈きたかも。
ちょっと苦しい。
今日は月次祭。
11年前も月次祭。呪われてる。
今日も一日陽気ぐらし!
— コムヨシ@天理教2.0 (@com_yoshi_) 2018年6月14日
11年前同様、発作性心房細動でした。
入院はしなくていいみたいです。
紹介状書いてもらったから、明日行ってみます。とりあえず大丈夫みたいです。
心配していただいた皆さん、ありがとうございました😊
生きてます!
— コムヨシ@天理教2.0 (@com_yoshi_) 2018年6月15日
今回は、不整脈を11年ぶりに発症して改めて感じたことや、新しい発見なんかをまとめてみようと思います。
月次祭に発症するということの意味は?
11年前と全く同じで、発作性心房細動というやつでした。
しかも、今回も月次祭当日に発症するというイカレぶり。
今回は、会長として迎えた月次祭だったわけで、もちろん休む訳にはいかない。そこまで起き上がれない程苦しいわけではなかったので、頑張っておつとめを勤め終えてから病院に向かうことにしたんです。
祭儀式、座り勤めを終え、前半になりました。
今月は(も)ボクと妻、信者さん1名、上級の奥さん、計4名でのおつとめなので、もちろんフル出場です。不整脈だろうがなんだろうが関係ありません。
しかし、てをどりはさすがにキツい。
病気じゃなくても12下りをフルで踊るのは体力が要ります。
椅子をもってきて、座ったまま勤めることにしました。
頑張って歌いながらお手ふりをつとめていると、やっぱり苦しくなってくるから、ちょっと歌うのを休むと、隣で踊っている妻や信者さんが「死んだのか!?」と勘違いして何度もこちらを確認。
信者さんは涙声になりながら勤めてくれていました。
有り難いですね。生きてます。
無事におつとめが終わり、着替えて病院へ向かいます。妻が運転かと思ったらボクが運転でしたww(1歳の娘の機嫌が悪かったので)
死を意識した数時間
病院に着くと早速、診察、採血、心電図、レントゲンの検査をしてもらいました。
お昼の、外来受付外の時間帯で、診察結果は午後の外来が始まってからのようでした。
結果は、発作性心房細動。
11年前同様の症状でしたが、前回程重い状況ではなかったらしく、入院するには至りませんでした。良かった。
先生の診断では、前回のように「いつ気を失って死んでもおかしくない」という状態ではないらしく、ある程度時間が経てば治まるでしょう、とのことでした。
一応、薬を処方してもらい、心臓専門の病院への紹介状も書いてもらることにしました。
とりあえず、命に別状はないということで、とても安心しました。妻も安心したようです。
検査から診察までの約一時間程は、自分がどういう状況におかれているのか全くわからなかったので、前回同様、入院を覚悟していたし、前回と同じ状態なら、いつ死んでもおかしくない状態だということで、
「色々覚悟しなければならないな」
という気持ちになっていました。
前回と決定的に違う点は、妻と子ども達の存在です。
「死ぬかもしれない」
という感情が、こんなにも切ないものなのかと、初めて感じることができました。
「生きたい」
という感情が芽生えたのは当然ですが、それ以上に、
「いつ死んでもいいように、満足のいく人生にしよう」
そう強く思えました。
天理教2.0をもっと加速させたい
死を意識するようになってから、今まで以上に、「自分の好きなことだけやろう」「好きなことで誰かの役に立とう」という気持ちが強くなりました。
せっかく与えられたこの身体、この心、大切な家族。
いつ死ぬか分からないなら、本来与えられている自分の使命に目覚め、自分らしい陽気ぐらしに邁進したいと強く感じました。
ボクが不整脈になったのは、疲れがたまってのことなのか、何か思し召しがあってのことなのか、それはボクにはわかりません。
もちろん色々思案はしています。
一番大切だと思うのは、「自分のこんなとこがだめだったのかな」とか「自分のこんな心づかいが神様の思いにそってなかったのかな」
みたいに、過去を無駄に振り返ることではなくて、
「与えられた奇跡の毎日を、どうやったら今まで以上に豊かに過ごすことができるか」
それを考えることだと思います。
自分の人生を豊かにするためには、誰かの役にたつこと、貢献することです。
ボクは、もっともっと色んな人の役にたてるよう、貢献出来るよう、妻や子どもの笑顔を増やせるように、毎日を健康で楽しいものにしていきたいと思います。
つまり、天理教2.0を加速させまっせってことです。
今後ともよろしくお願いいたします!
今日も一日陽気ぐらし!
コメント
甘寧コメント一番乗りぃ!