どうも、コムヨシです。
先日天理に行って来たんですが、未だかつてないくらい素晴らしい時間を過ごすことができました。
大きく分けて3つです。
- ハイスタのライブに初参戦
- ブログの師匠である高校時代の後輩とのランチ
- 敬愛する先輩たちとの対談
これらの全く異なる時間に共通するのが何かというと、
「受け継がれるもの」
です。
アナタは何か受け継いでいるものや、コトってありますか?
受け継ぐべきもの、受け継がれてきたもの、受け継いできたもの、受け継ぐべきでないもの、受け継ぎたくないもの
今回は、ボクが体験した3つの時間を通して感じた
天理教がこれから受け継いでいくべきことをまとめてみようと思います。
1、ハイスタのライブに初参戦
先日の11月25日に、大阪城ホールで開催されたハイスタのライブに参加する事が出来ました。
このライブに参加するまでの経緯がかなりぶっ飛んでいて、是非紹介したい内容なんですが、それは別の機会にゆずることにします。
ベースボーカルの難波さんが
「音楽ってすごいね。音楽ってDNAみたいにずっと繋がってきてる。ハイスタもNOFXとかNO USE FOR A NAMEとかの影響をたくさん受けている。もっといえば、RAMONES、SEX PISTOLS、CLASHに代表されるような初期パンクだったり、ビートルズやビーチボーイズだっている。そうやっていろんな音楽がDNAの螺旋状のようにからまりあって、繋がれてきてる。そしてこの連鎖はとまることなくこれからもどんどん続いて行く…」
というような内容の話をしてくれました。
ボクはとても得心できたんです。
音楽に限らず、今ボクがここにいるためには、色々な存在のお陰なわけだけど、その色々な存在は例外なく繋がれてきたものなんですよね。
例えば、今ボクが来ている洋服。
急に洋服というものが誕生したわけではなく、原始時代の獣の皮を用いた服装のその時代から連綿と繋がれて、その時代の生活様式や技術革新によって様々な姿に変わって人間の生活を潤して来てくれました。そしてそれは今後も変わっていくことはないでしょう。
受け継がれてきたもので最も古いもの、「命」もそうでしょう。
この世で一番大好きな「ハイスタ」のライブでそんなことを感じる事ができました。
2、ブログの師匠である高校時代の後輩とランチ
ハイスタのライブに行くことが決まるまでのストーリーがハンパないんですが、参戦が決まるまでのいきさつの中で関わってくれた人たちにとにかくお礼がしたくて、ボクが自分でデザインしたオリジナルの「ハイスタTシャツ」を作ることにしたんです。
で、Tシャツの在庫に余裕があったので、常々お礼をしたいと思っていた後輩にもそのTシャツをプレゼントする事にしたので、天理で会う事になりました。
ボクがデザインしたヤツです。左胸にワンポイントで可愛くいれちゃってます。
その後輩は、ボクのブログでも度々紹介している「あれもこれも」のブログを書いているヒサマツ氏です。ボクにブログを教えてくれた恩人です。
ボクは妻子がいて、天理に行く時はだいたいみんな一緒に行くんですが、今回はボク1人で行っていました。ヒサマツ氏も奥さんが熱をだしてしまったということで1人で参拝に来ていました。
26日の参拝を終え、お互い身軽だったので一緒にご飯を食べにいくことにしました。
だいたい一時間半程天理教のことについて色々話をしたんですが、その中でボクが最も印象的だった話があります。
教理を語るベースが変わった
その話題に行きつくまでに交わされていた会話は、「天理教教典」に関してでした。
ボクが所属している関係教会では月次祭のおつとめ終了後に必ず「教典拝読」という時間があります。
ボクは、それが当たり前だと思って育ったわけですが、どうやらそれは義務ではないということがわかりました。変な歴史だったわけです。教典自体はとても素晴らしい読み物だと思うので、読む事自体が悪い事だとは思いません。
ただ、ボクは今会長をしている教会、実家の教会、上級教会、大教会と一ヶ月に最低でも同じ章を4回も聞かなければなりません。おつとめを勤め終えてやれやれとなっている時にです。聞いた分だけ成人できるならいいけど、大抵は耳に入ってこない。
形骸化してしまっているのもあるけど、やっぱり文体が硬すぎるんですよ。
わかりづらい。
とっつきにくい。
なのでボクは、天理教の教えをもっとわかりやすく、とっつきやすくできる読み物って作れないのかな、って問いかけたんですね。
「そういう読み物を作る必要性はあるでしょうね」とした上で、ヒサマツ氏は次のように解説してくれました。
- 今の天理教がベースとしている教理は「天理教教典」を基にしている。
- 教典は戦後作られたものだが、それ以前は体系立った教理がなかった。
- 権威ある教理書がなかったため、天理教は低俗な宗教という見方をされていた。
- 教典を作るために模範にしたものがキリスト教の教義だった。
- キリスト教の「カタチ」を真似て作っているので、表現に限界があったり、普遍的になりえない部分がある。
- 教典ができる以前は、明治20年前後のおやさまのお話をベースに教えが説かれていた。
で、それがどうしたっていうことなんですが、
「あなた教」が乱立する大きな原因となっているのが、「天理教教典」だということです。
ボクもヒサマツ氏も決して「天理教教典」を非難しているのではありません。とっても素晴らしい読み物だと認識しています。そこは誤解しないでいただきたいのですが、
おやさまの時代に語られていたお話はもっともっとシンプルでわかりやすいものだったのに、時代の流れや社会性を高めるために権威の高い教義本を世の中に示す必要があったんです。
権威を高めるためには、どうしても堅いものになってしまうわけですね。
シンプルな言葉に様々な飾りがつけられて、本質がわかりづらくなってしまったっていうことなんですね。
ヒサマツ氏は、現代の天理教で起こってきている様々な問題の原因は、天理教の本質を見失ってしまっていることにあると言います。その原因として、教理を説く際にベースとなるものがシンプルだったおやさまのお話に代わって「天理教教典」にすり替わったことにあるといいます。
どちらが正しいとか、間違っているとかという話ではなく、現代の我々が何を選び何を後世に繋いでいくのかということになってきているんだと思うんです。
3、敬愛する先輩たちとの対談
ヒサマツ氏と別れたあと、ボクは「新☆教区青年会リーダー研修会」というものに参加しました。
教区というのは都道府県ごとに設置されている組織のことです。
ボクは青森県なので青森教区に所属しているということになります。
各都道府県の青年会の集まりっていうことですね。
研修後には懇親会があるんですが、その席でボクが敬愛する先輩に会いました。
その先輩はボクを見つけるなり、
「久しぶり! 弟さんのコムタンブログ見てるよ!」
と、挨拶してきてくれました。
コムタンじゃねえし、弟じゃねえし
という声はグッとこらえて大人の対応をしましたよ。
そんなことはどうでもよくて。とにかくもう、2時間くらいでしょうか。ずっと2人でしゃべりまくってました。
彼は、今でこそ実家の教会で会長をされてますが、数年前まではボクのようにいわゆる事情教会とよばれる会長さん不在の教会を継いでいました。
3人しかいなかった信者さんを、3年間で24人にまで増やしたというモンスターです。怪獣です。
そんなことをやってのける人なんだから、素敵な家庭環境で育ったんだろうと。スタートがボクなんかと全然違うんだと。だからこそモンスターになれたんだと。
そう思ってたんです。
でも、彼の話を聞いて彼を見る目は180度変わりました。
彼はモンスターでもなければ、怪獣でもなければ、
ただの妖怪だということ。ウソです。
ボクと同じただの人間だということがわかりました。
ボクと同じように親に対して不足を思っていて、殺意さえあったといいます。
そんな彼がどうやって教会を復興したのかまではタイムオーバーで聞けませんでしたが、それ以上に大切なモノを教えてくれました。
それが
親孝行・夫婦仲良くでした
細かい話は割愛しますが、そこからボクが感じたのは「世の中の全てのカギは夫婦関係次第」ということです。
子供がいうことを聞かなかったり、体調を崩しがちなのは、家の中でお母さんの機嫌が悪いからです。
でもそれはお母さんが悪いわけじゃないんです。
お父さんがお母さんを満足させてあげていないからなんです。
親子関係がスムーズにいくかどうかは、夫婦関係一つにかかっている。
お母さんが満たされていると、家庭は常に明るく温かいので、子どもだけでなくお父さんも外で元気よく働いてくることができます。出世します。
そんなお父さんが増えると、その会社はどんどんよくなるし、地域も明るく元気になります。
女性は性質上、夫のために尽くしたいという気持ちが備わっています。子どもを産んだ瞬間に分泌される特別なホルモンのお陰で子どもとの結びつきも元々強いんです。
女性は最初から頑張っているし、素晴らしい。
夫婦仲が上手く行かない原因はやっぱり男にある。
夫が妻を100%満足させる事ができれば夫婦仲は必ず上手く行く。
その夫婦の間で育つ子どもは100%豊かに幸せで、親孝行な子どもに勝手に育つ。
そんなことを感じました。
ボクが男としてパッとしないのは、妻を喜ばせていない自分自身に原因があったんだということに気づく事ができました。
最後に、その先輩にボクはこんな注文をしました。
「ボクは今、アナタから素晴らしいエッセンスを受け継ぐことができたけど、ボクはラッキーだっただけで、迷ってる人上手く行かない理由が分からない人がたくさんいるんです。その人たちのために人肌脱いでくれませんか。ブログを書いてくれませんか。あなたにはその義務がありますよ。それも人だすけですよ。」
すると先輩からこんなことを言われました。
「エホバの証人に布教して、布教仕返された気分だわ」
と。
誰がエホバの証人やねん
というわけで、天理教が本当に受け継いでいくべきこととは
エホバの証人です。(ウソ)
妻を愛するということです。
今日も一日陽気ぐらし!!
コメント
全く面白くない!最低、最悪のブログだね。
貴方、頭おかしいの?
天理教なんてエホバの証人以下だろ 貴方のようなクソ人間は、それ以下だと思うよ。
よく結婚できたな?その顔と性格で・・・
素晴らしい内容にいつも励まされています。天理教教会の後継者の妻です。ありがとうございます‼