【教会長物語】23歳のコムヨシが教会長になった恐ろしい理由

教会長物語

どうもコム次郎こと、コムヨシです。

今年33歳になりましたが、来年3月で教会長就任10周年を迎えるんですが、どこからも取材の依頼がこないので、頼まれもしないのに教会長として歩んできた10年間を一人で勝手に振り返り、一人で記事にまとめていきます。

概ね「振り返り日記」(そんな言葉あるの?)のような感じになりますが、これから教会長をする可能性がある方、教会長になったばかりの方に、

「そうそう」とか

「そうなんだよね」とか

「あれ腹立つよね」とか

「オレ何してんだろ」とか

「組織おかしくね?」とか

「よし! 俺もかましてやるか!」

と思ってもらえるような、内容にまとめていければなと思います。

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23歳コムヨシ、教会長になる!?

そうなんです、ボクは23歳で天理教の教会長になっています。

2008年3月26日です。

みなさんは23歳の時って何してましたか?

大学行ってた方なら、新卒一年目でようやく仕事にも慣れてきた、みたいなころでしょうか。

高卒で就職された方なんかは、すでに仕事も板についてきて、会社や先輩の愚痴を居酒屋でぶちまけてるような具合でしょうか。

コムヨシは、教会長やってました。

実際には、その三ヶ月後に24歳になっているので、23歳はちょっと言い過ぎなんですが、それでも教会長就任年齢の相場からいくとだいぶ若いです。

だいぶっていうか、普通任せられるような年齢ではないですよね。

ただのくそガキですから。

実際、ただのくそコムヨシでした。

今は、超絶怒濤のくそコムヨシですが。何か?

くそコムヨシが教会長になった理由。不整脈という病気を聞いたことありますか?

今回の記事では、ただのくそコムヨシだったボクがどうして教会長にならねばならなかったのかに迫りたいと思います。

付き合いの長い方でも、この辺のことはあまり知らない方が多いと思いますので、じっくり読んでみて下さい。

教会長就任から遡る事約一年前、2007年4月7日。ボクは地元の友人の結婚披露宴に出席していました。

当時のボクの生活は、2006年にコロンビアから帰国し、息つく暇も無く青森県五戸町(実家から車で30分)にある、実家の教会の上級教会に住み込んでいました。そのへんのいきさつはこの記事では割愛します。

2007年当時もまだ上級教会に住んでましたが、休みをもらって披露宴出席がてらの帰省をしていました。

同級生の結婚式に出席するのは初めてのことだったこともあり、あまりにも楽しくてはしゃぎすぎたのもあり、少し飲み過ぎた感はありました。

披露宴翌日、ボクは上級教会の仕事にもどらなければなりませんでしたが、飲み過ぎたのか、胸の辺りが苦しく、全身がだるい感じがしていました。

その日の上級教会での仕事というのは、部内教会(実家から見ると兄弟教会)の月次祭のお手伝いに行くことでした。

上級とか部内とか聞き慣れない単語ですが、上級=親、部内=子ども、という感じで解釈してもらえればわかりやすいですかね。

実家の百石分教会も、上級五戸の部内教会という関係になります。

月次祭は基本的に10時とか11時くらいから始まるので、だいたいその時間に間に合えばよかったので、とりあえずギリギリまで寝て少しでも疲れをとる作戦にでました。

しかし、いつもの二日酔いの感じとは違い、横になっても眠れません。

頭の中に響き渡るくらいの大きな音で、何かが鳴っています。

心臓の鼓動です。

しかも、急に鼓動が早くなったかと思うと、鼓動がなくなったり。

鈍感なボクは

「ああ、今日はいつもより鼓動が変だな」

くらいにしか思いません。

そもそも鼓動が聞こえる時点で異常事態なのにも気づきません。

「今日は良く聞こえるなー」くらいなもんでした。

でもだんだん、「これ、やっぱおかしいよな。やばいのかな?」

と思い、とりあえず起きてみることにしました。

その当日、実家の教会では「おやさまご誕生祭」が行われていて、たくさんの方々が来られていました。

忙しそうに立ち働いている母を呼び、脈がおかしい旨を伝えました。

母は准看の資格をもっていたので、とりあえず診てもらおうと思ったんですね。

母は一言「不整脈だごった(だろうの意)」。

神殿でおさづけ(神様へのお祈り)を取り次いでもらい、病院へ向かいました。

その日は日曜日だったこともあり、簡単な心電図検査しかできなかったんですが、

「間違いなく、不整脈です。このまま入院して下さい。」

との診断でした。

「え、入院?」

ボクは、まったくわけがわからず

診察台の上で心電図の線につながれたまま

悔しさなのか、悲しさなのか、辛さなのか、自分でもわからない涙をこらえることができませんでした。

上級の教会へ事の由を伝え、実家にも連絡し、ボクは入院することになりました。

忘れもしない

2007年4月8日

青森ではめったにない、穏やかな春の陽気に包まれた、とても暖かな日でした。

つづく

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